○今から40年ほど前に、児玉暁洋先生から、「死への生を生きる者から浄土への生を共に生きる者へ如何にしてなり得ることができるか、それが君の課題だ。浄土って何なんや、何故『共に』という文言が入っているんや、暗号だらけやろ。君の一生をかけてこの暗号を解いて下さい」と指摘を受けました。40年経った現在も、暗号の解読が出来ぬままに、救われようのない自身を露見しつつ歩ませていただいております。
〇昨年の8月に炎症を起した声帯も回復はしましたが、回復はしましたが、回復しただけで、治ったわけではないんですよね。治るどころか、いずれは必ず声の出なくなる時がくるんですもんね。これは確実です。信國先生の本に『いのちは誰のものか』というのがありましたけど、あれは単なる本の題名ではないんだと。私自身に向って、「自分のいのち、自分のいのちと思い込んで、そこにしがみつき、与えられてあるいのちを汚しているのはお前自身ではないのか」と、私に気がつかしめんがために願いをかけ続けて下さっておられたんだと。南無阿弥陀仏。
○お問合わせを設置しています。よろずのこと、そらごと、たわごと、どの様なことでも受付しております。遠慮なくご投稿下さい。
|
西方寺の本尊(阿弥陀如来像)
|