●脊髄損傷で首から下の麻痺という障がいのある星野富弘さんの詩に「いのちが一番大切だと思っていたころ 生きるのが苦しかった いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」というものがあります。失意の中でキリスト教との縁があり、教えによって生きる力をいただいている方です。詩の中で「生きる」から「生きている」という、表現の変化が見られます。現実を受容して、生かされていることの意味に目覚め、精一杯生きて生きているさまがうかがえます。」(「医者が仏教に出遇ったら」田畑正久著より抜粋)
「いのちが一番大切だ」と、無疑問的に思い込み、我がいのちを護らんがためにひたすら歩み続けた末、生きることの虚しさに押しつぶされそうになりながら日々を送っている自身の姿に、改めて気づかせていただいたお言葉とのお出会いでした。
●レモンの木を三本植えたんですが、そのうちの一本を、高山地区の厳しい寒さと私のいらぬ小細工で枯らしてしまいました。柑橘系樹木の栽培を豊富に経験しておられる方から、「植えて間がないのに強い剪定をしたらあかんわ」と、ひと蹴りされてしまいました。後二本は何とか順調に成長していると思ってはいるんですが、経験豊富な方の意見に耳を傾けて、己を空しくして、「習う」ということを大切にしていきたいと思っています。
●地元で造園業をなさっておられるOさんがドウダンツツジを寄付して下さいました。垣根に引き続いてのご厚意に感謝です。春に植栽してもらったばかりなので、この厳しい夏を乗り越えられるのか、数本の葉っぱが茶色くなってきているのが気になり心配です。
●西方寺では、いつでも、どなた様でも気軽にお寺へお越しいただけるようにと、常時、門を開いていたんですが、鹿の侵入が頻繁になったので、総代のお二人がドリルで穴をあけて、コンクリートを埋め込んで、立派なアニマルゲート扉を設置して下さいました。お蔭様で鹿の侵入は何とか防ぐことができているんですが、順調に育っていたミニトマトの実が赤くなってくると、小動物(アライグマかハクビシン)が侵入してきて食べてしまいはります。農家の方々にお聞きしてみますと、「どこもやられてるみたいやで、相手も生きていくのに必死やからなぁ〜」と、淡々といろんな防御策を講じておられるました。「そういうもんや」というところに立ちながら悔しがっておられる農家の方と、「こんなことがあるなんて」と歎き悲しんでいる私とでは、天と地ほどの差を感じます。立っているところが違うんですね。
●歯医者さんから「時間の問題ですよ」と忠告されていた左側の奥歯がグラグラとしてきました。歯が抜けたら不便になるなぁとか、何だか嫌な気分になっていたんですが、60数年、食べ物を噛み砕いて消化しやすいように働き続けていたんですね。その事実に気付かしめられたにもかかわらず、何の意識もせぬままに与えられてあることに驚きを感じることもなく、感謝の念を抱くこともなく、相変わらず思い通りにならない我が身にケチをつけている自己中の根深さを痛感させられています。
●お問合わせを設置させていただいています。
最近、私は何を求めているんだろうかと思うことがあるんです。経済も大事かもしれませんが、「お互いに通じ合ってるんやなぁ」、「繋がっているんだなぁ」という実感を何より求めていたんだなどと。何かと立派な理由を付けたがってしまうんですが、要するにおしゃべりをしたいんですね。
辻褄の 合わぬ話しを 聴いて炉辺
G先生が、「昔は、夕方になると、村の人たちが農作業を終えた後にお寺に集まって、冷えた身体を本堂にある囲炉裏で温めながら、どうでもいい世間話しをしてから、それぞれ家に帰って行かれた。それがいいんだなぁ」と満面の笑みでご説明下さり、頂戴したお言葉なんですが、お問合せがそのような場所となればと、心より願っています。お便りをお待ちしております。
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西方寺の本尊(阿弥陀如来像)
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生れ変った西方寺全景

新しい垣根

庭に咲くドウダンツツジの花
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